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「あの戦を境にして、『神と人間』『君主と象徴』という対極の生を生きられた天皇が、長い戦争と平和とに隈(くま)どられた昭和という時代を引き連れて、永遠の眠りに就かれた」。89年1月7日、昭和天皇の逝去の報を受けて、本紙の社会面に、そう書いた。
その前年の4月の日付で、昭和天皇が、靖国神社にA級戦犯が合祀(ごうし)されたことに不快感を示した発言のメモが残されていた。当時の宮内庁長官が記していたというメモには、肉声を聞くかのような臨場感がある。
「今の宮司がどう考えたのか 易々(やすやす)と」「親の心子知らず」「それが私の心だ」。合祀への不快感については、過去にも側近が証言している。メモはそれを裏付けるもので、歴史を変えるというほどではないものの、大きな発見だ。
気をつけたいのは、このメモの扱い方だ。冒頭の社会面の記事にも記したように、昭和天皇は、あの戦争の前と後とでは対極的な存在となった。ひとつながりの生でありながら、歴史はそういう軌跡を描かせた。
この、昭和の歴史と特別なかかわりをした天皇の全体像というものには、途方もない幅と奥行きがあるだろう。宮内庁長官を介して間接的にもたらされた幾つかの言葉から、その像が一気にくっきりと見えてくるものではあるまい。
メモは一つの史料として冷静に受け止めたい。政治などの場で過大に扱うのも控えた方がいい。もっと大きく、昭和の歴史と向き合ったり、あの悲惨な戦争を考えたりする時の手がかりにしたい。戦争で隈どられる時代が二度と来ることがないように。
〜〜〜〜〜〜〜〜引用ここまで
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