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国旗と国歌をめぐり、あらためて議論を深めることの大切さを訴える人たちがいる。かつて県立高校では「卒業式に国旗と国歌の扱いをどうするか」で、生徒間で熱い議論が交わされていた。一部の教員は、国旗と国歌が卒業式に入り込むことに反発し、県を相手に訴訟を起こした。当時の騒動を経験した元生徒や教員は、「自由に議論できる環境が大切だ」と口をそろえる。
「国旗、国歌に賛否両論が出るのは当然。好き嫌いどっちがいいとは言えないが、十分に議論する環境は奪うべきじゃない」と話すのは、希望ケ丘高校(横浜市旭区)を卒業した会社員佐々木一成さん(30)=横浜市旭区。佐々木さんが高校生だった一九九九年、国旗国歌法が成立。県教委から掲揚、斉唱の指導が強まっていた。
同校は自由な校風で、生徒同士の議論を重視する。このときは「戦後、ドイツは国旗を変えたのに、日本は変えていない」「そもそもなぜ、卒業式で国旗と国歌が必要なのか」と、生徒同士で主張合戦が繰り広げられた。
結局、卒業式では日の丸が掲げられ、君が代も演奏された。ただ、生徒は積極的に起立して歌ったり、着席したままだったり、起立しても歌わなかったりと、それぞれの立場で行動した。
佐々木さんは「あのとき、生徒に明確な思想があったとは思わない。でも、上からの押しつけではなく、自分たちの力で決めることの大切さを学んだ」と振り返る。
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県の国旗国歌訴訟の原告の一人で、津久井浜高校(横須賀市)教諭の長野和範さん(57)は、横須賀高校にいた九五年、校長から「卒業式で国旗掲揚と国歌斉唱を徹底するように」と言われた。ちょうど学習指導要領で、国旗掲揚と国歌斉唱が明記された時期だった。
生徒にアンケートを採ると、「違和感を覚える」との意見が多数。生徒が編集する学校新聞でも問題として特集され、すぐにはがされたものの、「反対」と主張するポスターも掲示板に張り出された。長野さんは「何の議論もなく突然決まったことに、生徒はおかしいと思ったんでしょう」と推し量る。
もう一人の原告で、秦野高校(秦野市)教諭の松永和政さん(56)は、こうした学校側の「圧力」や国旗国歌法の制定を通して、「過剰反応が起きている」と分析する。最近、教員、生徒双方から国旗国歌の話題が出なくなっているという。
また、「教員は国旗国歌の話題を生徒に振れなくなり、生徒には国旗国歌の存在が当然になっている」とも。このままでは、生徒は日の丸や君が代の成り立ちに疑問を抱かなくなる。「健全な批判力を養うという学校教育法と矛盾する」。戦時中の思想統制にもつながりかねない、と感じている。
松永さんは言う。
「国歌斉唱、国旗掲揚をする結論に至っても、強制するのと、納得するまで話し合うのでは全く違う」
それは、生徒同士が話し合って工夫を凝らす最後の教育の機会が卒業式だと考えているからだ。(志村彰太)
<神奈川県の国旗国歌訴訟> 2004年、「国旗掲揚と国歌斉唱の指導を徹底するように」との県教育長通知が出され、その後、不起立の教員の人数と名前を報告するよう各校に求めた。「思想・良心の自由」に反するとして、05年に教職員135人が県を相手に提訴。東京高裁で、教育長通知は具体的な義務を定めたものではなく、教職員が不利益な処分を受けたこともないとして、訴えを却下。11年に最高裁が上告を棄却して終結した。
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【神奈川】「国旗、国歌に賛否両論が出るのは当然」、議論の場を奪うな 県立高校の現場★2の続きを読む