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臨済宗の僧・栄西の茶会様式も類似
作法広めた高麗遺民
朝鮮朝の拝仏政策で渡日
草庵茶室の狭小な空間に侘(わび)、寂(さび)の小宇宙を創出する日本の茶道。日本オリジナルと信じられていた千利休に至る日本茶道の確立期に、高麗時代の茶道が大きな影響を与えていた。また、日本に中国(宋)から茶の儀礼を伝えたとされるのが臨済宗の僧・栄西だが、彼の茶会の様式も、本家の宋のスタイルより高麗の茶礼により似ている。日本茶道の発祥に高麗の茶道が深くかかわっていた事実を検証する。
栄西が日本に茶を伝える半世紀ほど前、高麗を訪れた宋の使節の日記(『高麗図経』)に、高麗の茶会を記録した部分がある。
そこでは、「高麗式作法では暖かい茶が飲めない、中国にはない1日3回の供茶を行い、茶を薬としてありがたがっているだけだ」など、侮蔑的表現で高麗の茶会は宋のものとは似て非なるものだと述べている。ところがこの高麗の作法が、栄西が宋から日本に伝えたとしている茶会の作法に非常によく似ているのだ。 京都五山のひとつ、臨済宗・建仁寺では、栄西の誕生日の4月20日に四頭茶礼という茶会が開かれる。これは14世紀末(室町時代中頃)に書かれた『喫茶往来』という本の記述通りにとり行うもので、栄西の往年の作法をよく伝えているとされている。
『喫茶往来』の様式は後に千利休が確立した茶会の様式にも強い影響を与えており、日本茶道の原点というべきものである。詳細は省くが、茶道具の使用法、茶に対する考え方、茶の飲み方(3回の供茶など)が『高麗図経』に書かれている高麗式作法とそっくりなのである。栄西は、宋から直接に帰国したのではなく、帰路に高麗に立ち寄り、高麗式作法を日本に伝えた可能性も十分に考えられる。(※一部略)(民団新聞)
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本当に"起源"が好きですねぇ。
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