■新年を迎えて 民主主義の幹を太くしよう(京都新聞)引用ここから〜〜〜〜〜〜〜〜
新年は、富士山の話から始めたい。といっても、頂上の所有権をめぐる話である。
富士山では、江戸時代から駿河と甲斐、双方の神社が絡んで複雑な山頂の権利争いが繰り広げられてきた。だが、話し合いや裁判を経て、現在は8合目以上の大半を浅間(せんげん)大社が所有し、静岡、山梨両県の県境は定めず凍結。住所は「富士山無番地」のままだ。登山道は両県で管理し、警察なども両県で対応している。
京都市左京区岩倉で「言葉を紡ぐ」という講座を続ける論楽社の虫賀宗博(58)さんは昨年夏、この話をブログで紹介した。中国や韓国との間で領土をめぐる対立が深まる中、この凍結・共同管理の知恵にこそ学ぶべきではないかと考えたからだ。
ブログにはこうある。
「怒りの炎で身を焼く前に、富士山の知恵を思い出してほしい。ウィンウィン(互恵)の関係を紡ぐことができる。もともと大地は誰のものでもない…南極だって領有権凍結を明記しているではないか(南極条約)」
大きくせり出す国家
その虫賀さんが懸念しているのは、こうした主張が、相手国に屈する考え方だとして戦前・戦中のようにタブー視され、自由に論じにくくなっていくことだ。特定秘密保護法の成立過程などを見ているとそんな恐れを感じるという。
東アジアの緊張の高まりとともに「国家」が大きくせり出してきている。安倍政権は、有事即応態勢の強化に向けて外交・防衛の司令塔となる国家安全保障会議(日本版NSC)や情報統制を強める特定秘密保護法を整備し、教育や安全保障に「愛国心」を持ち込んで「強い国」を目指している。
国民のための国家から、国家のための国民へ。そんな危うい流れが、この国に生まれていないだろうか。もしそうだとしたら、私たちは主権者としてブレーキをかける力を持ち得ているだろうか。
「選挙」などのドキュメンタリー作品で知られる映画作家の想田和弘さんは昨年11月、「日本人は民主主義を捨てたがっているのか?」(岩波ブックレット)という挑発的な題の本を出版した。
その中で、政治家は政治サービスの提供者であり、主権者は投票と税金を対価にした消費者、そう考える「消費者民主主義」の病が日本の民主主義をむしばみつつあるのではないかと問うている。
消費者化した主権者
つまり、こういうことだ。
政治家は主権者たる国民を「お客様」として扱い、国民は主権者であることを忘れて受け身となり、サービスを消費するだけの存在になる。結果、政治家が提示する政策や問題を自力で吟味せず、勉強もしない。
かくして「買いたい商品=立候補者がないから投票しないのは当然」と投票を避け、「賢い消費者は、消費する価値のないつまらぬ分野に関心を払ったり時間を割いてはならない」と政治への無関心を決め込む。その隙間に、為政者の望む通りに何でも決まる「熱狂なきファシズム」が忍び込んでくる。そんな指摘である。
国民が政治に受け身になっている状態は「おまかせ民主主義」とも言われるが、その行動がより一層「消費者的」になってきたとすれば、何を意味するのだろう。
いったん「消費者的病理」に陥った主権者が、自覚を持って政治に主体的にふるまうようになるのは容易ではない。処方箋も難しいだろう。だが一歩を踏み出さない限り、政治は暴走する。そのことに自覚的でありたい。選挙で一票を投じるだけでなく、街頭でデモをすることも、わいわい自由にしゃべり合うことも、憲法が保障する、民主主義を空洞化させないための大切な行動である。
「現実」主義のわな
安倍首相は昨年、「積極的平和主義」を外交・安保戦略の基本理念として打ち出した。日米同盟を基軸に憲法解釈変更で集団的自衛権行使を可能にし、海外で自衛隊が戦える道を開こうとしている。踏み切れば、戦後の専守防衛からの転換となり、国のかたちを大きく変えていくことになる。その先に憲法改正もある。
中国の海洋進出や北朝鮮の核ミサイル開発など厳しさを増す安全保障環境の変化。その「現実」があるにしても、対処の道はいくつもあろう。少なくとも対立をあおって緊張を高めるようなやり方は平和国家のとるべき道ではない。むしろ、外交力で緊張緩和への努力を重ねることが大事だ。そのためには、過去の植民地支配と侵略戦争の歴史にきちんと向き合い、未来志向の関係を築く共通の言葉を磨く努力が欠かせない。
かつて日本の独立に際し、全面講和や非武装中立を唱えた主張に「非現実的だ」という非難が浴びせられた。この時、政治学者の故丸山真男氏は「『現実』主義の陥穽(かんせい)」というエッセーの中で「現実たれということは、既成事実に屈服せよということにほかならない」と反論。「現実だから仕方がない」という思考様式が、戦前・戦時の指導者層に食い入り、ファシズムに対する抵抗力を内側から崩していったのも、まさにこの「現実」観だったと喝破した。
現実を「仕方がない」とあきらめず、平和主義の原点に立って考え抜く。その力が試される年になるかもしれない。民主主義の幹を太くしたい。
〜〜〜〜〜〜〜〜引用ここまで
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posted by nandemoarinsu at 22:40
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