■記者の目:地上波民放から消える連続時代劇=重里徹也 ◇体現する「日本人の心」色あせず(毎日jp)引用ここから〜〜〜〜〜〜〜〜
寂しい。特別に時代劇のファンではないつもりだったのに、そう思った。
テレビの長寿時代劇「水戸黄門」が現在放送中の第43部(12月まで)で終了することが発表された。42年間続いた国民的な番組が終わるだけでなく、地上波の民放から連続時代劇が消えることになる。NHKの地上波も「歴史劇」の要素が強い大河ドラマだけだ。
日本でテレビ放送が始まった1953年以来、さまざまな連続時代劇が制作されてきた。なぜ今になって、姿を消すことになったのか。
「水戸黄門」の打ち切りについて、制作しているTBSは「余力のあるうちに、惜しまれつつ終わるのがいい」と説明した。
しかし、視聴率が低下していたことは見逃せない。79年には史上最高の43.7%(関東地区)をマークし、その後も30%前後を記録していたが、近年は低迷。今年7月にスタートした第43部は10%前後(同)にとどまっている。
また、視聴者の平均年齢が高いことも、よく指摘される。一般的に、スポンサーは購買欲の旺盛な若年層を好む傾向が強く、時代劇を敬遠するのではないかという。
次に、制作費が現代劇よりもかかることが挙げられる。筋がマンネリで飽きられたのではないかとか、時代劇を見る時に必要な基本知識が国民に共有されていないとか、そもそも、子供たちがチャンバラごっこをしなくなったとか、そんな要因も考えられる。
確かに、連続時代劇がどれだけ現代のニーズに応えようとしてきたのか、検証が必要かもしれない。しかし、地上波から連続時代劇が消えることには、寂しいではすまない問題があるのではないか。二つ挙げよう。
◇撮影所の技術 途絶える心配
一つは時代劇が表現していた日本人の倫理観や美意識がテレビから消えていくのではないかという疑問、もう一つは時代劇を支えてきた撮影所の技術が途絶えてしまうのではという心配だ。
打ち切りが決まって以来、何度か「水戸黄門」を見たが、そこに体現されている日本人の心が色あせたとは思えない。コツコツと働き続けることの尊さ。貧乏をしても、娘を女衒(ぜげん)に売らない矜持(きょうじ)。義理を守り、人情を重んじる態度。他人が見ていなくても、おてんとう様が見ているという意識からくる道徳心。
これらが旅の先々を舞台に、さまざまな人間模様を通して表現される。年配の人が孫と語り合える番組だともいえるだろう(私の亡父もそれを楽しみにしていた)。
技術が後世に伝えられなくならないかという危惧も深刻だ。民放の時代劇の多くは、京都にある東映や松竹の撮影所で制作される。
大道具や小道具から、かつらや衣装、照明やメーキャップまで、裏方には特殊な技能が要求される。コンスタントに時代劇が作られなくなると、これらが若い世代にバトンタッチされなくなるのではないかと心配されるのだ。現在の黄門役の俳優、里見浩太朗さんも打ち切りの記者会見で、しきりに京都のスタッフのことを気遣った。
それにしても、時代劇は本当に人々に求められていないのだろうか。
NHKの調査では年齢が上がる程、テレビの視聴時間が増える傾向ははっきりしている。若者偏重の番組作りは、テレビが置かれている実態に合っているのだろうか。
CSの時代劇専門チャンネルが健闘していることにも注目したい。今年6月末には、視聴可能世帯が800万を突破。CS接触率調査でも、50代以上から圧倒的な支持を受けている。
このチャンネルを運営している日本映画衛星放送の杉田成道社長はドラマ「北の国から」などの演出で知られる一方、昨年は映画「最後の忠臣蔵」を監督するなど、時代劇も手がけてきた。
杉田さんは、京都の撮影所が危機的な状況だと心配し、「中国や韓国のように国などが支援することはできないのでしょうか」と話す。
◇義理人情や勤勉 震災後こそ必要
そして、時代劇について、「義理と人情や、勤勉の尊さといった精神性は、戦後の高度経済成長を支えた。それは大震災後の今こそ、必要とされているのではないでしょうか。リアリティーが要求される現代劇に比べ、時代劇は人物の輪郭をはっきりと描け、生き方を純粋に凝縮して示せる」と主張する。
地上波デジタル化など、放送技術は進んでいるが、番組の内容はお茶の間が求めているものに応えているのだろうか。放送の中身について、もっと議論をしたいと思う。(論説室)
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posted by nandemoarinsu at 00:45
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